2011年9月13日火曜日

「憤悱啓発(ふんぴけいはつ)」

今日、大先輩の先生から、教えていただいた言葉です。
感動しました。

■■「憤悱啓発(ふんぴけいはつ)」■■

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■ネットで調べてみました。
論語集より
36:子曰わく、
   憤(ふん)せざれば啓(けい)せず。
   悱(ひ)せざれば発せず。
   一隅を挙げて三隅を以て反せざれば、
   則(すなわ)ち復(ふたたび)せざるなり、と。

教えを受けんとする者で、自ら心に求め、
疑問の解決に向かって情熱が盛り上がるようにならなければ、
これをひらき教えてやろうとはしない。

言うべき内容もできて、言いたくても、うまく言えなくて、
口をモグモグさせる程度にまで進まないと、ひらき導いてやらない。

例えば、四角なものを教えるにしても、
一隅を持ち上げてみせると、
他の三つの隅を自分から類推して反応を示すようでなければ、
重ねて教えることをしない。

啓発主義教育という言葉の出典となった章。

「憤(ふん)」と「悱(ひ)」とは、
ともに児童や生徒の学習への気持ちの盛り上がりのことで、
その気持ちの盛り上がりを促す教育方法が啓発主義。

「一隅を挙げる」とは
一つのヒントを示して、
それによって学生が他を類推することを待つこと。

「憤せざれば啓せず」
「悱せざれば発せず」
よって
「憤悱せざれば啓発せず」也

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■ネットで調べていると、尊敬する先生が次のように言われていました。

「憤悱啓発」=「学習者の内面に、学びの発心が表れてこそ、教育が可能になること」

「吉田松陰の教学精神である「憤悱啓発」をモットーに、大人の役割は,子ども達に『憤ぴの情』が生じるように『場や状況』を設定することにある」といわれ「世の中すべてに渡って二極化が進んでいる今、若者の心に、夢や希望の宿る状況を作りだしていきたい」と語られました。

、、、とありました。